知らずに相手を判断することと院政

部活改善のために幹部と話していたときのことをふと思い出した。

下級生に対する不満を聞いていた時のこと。

 

「言うこと聞かんし、自分たちのすべき役割も忘れるしやる気ないんですよ。どうでもいいと思ってる。」

「それって本人達から聞いた?やる気ないって。」

「いや聞いてないですけど。見てたら分かりますよ。」

 

うちの部はいつからかわからないが入部した当初から権力関係がおかしかった。もう運営に責任のない幹部終わりの学年(隠居と、最近まで呼ばれていた)が幹部学年のやり方にあーだこーだと口を出し、主体性のなくなった幹部達が方向性を見失い、そこをまた指摘する。

僕はそれを院政と呼んでいた。日本史の後鳥羽上皇のやつ。我ながら一言で表すいい名前だった。

世間を見渡してもありえない権力関係がうまくいくはずもなく、その弊害の一つとして隠居が幹部学年の表面的な部分のみを見てこそこそと判断する文化ができあがった。

それが冒頭の会話に繋がる、と思っている。

 

正直他の組織に深く加入したことはないので比べてこの文化がうちで特異度が高いかはわからないが原因の一つだと考えている。

 

参考にした複数の本に、相手を知らずにその中身や言動の理由を判断することは自分にとって無駄でありお互いのメリットになることはないと書かれている。

Twitter上での誹謗中傷や多目的トイレで致した芸能人やら、みんな何を知った上で判断しているのか。

自分の生活に置き換えても、言葉にするとありきたりだが、相手に本心を聞き、本心で話すことで真に信頼し合えることは多い。ある程度の距離感でいいならそこまでする必要はない。

 

ただ少なくとも「知らないけど絶対こうだ。」と判断することはしないようにしている。